24年目の夏

hitto2009-08-13

昨日は、520人もの犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故から24年目でした。


24年前、お義母さんはこの惨事をテレビでずっと見ていました。
お盆休みで、東京へ遊びに出掛けている義弟からの連絡が入るまで・・・テレビ画面の長く、長く、長く、続く犠牲者の名前の文字の中に、もしや自分の息子の名前があるのではないかと、生きた心地のしない時間を過ごしていました。


夫と私と長女の3人は、お盆休暇を利用して始めてキャンプに出掛けて行くところで、遊びに行く前に実家へ寄り、義母から義弟からの連絡があったことを聞いて胸をなで下ろしたのでした。


24年前の今日は、日航ジャンボ機の話に終始して、私たちは車に乗り込み、意気揚々とお義母さんに手を振り、別れを告げたのでした。
まさか、元気だったお義母さんの顔を見るのが、これが最後だったとは・・・思ってもみないことでした。
お義母さんは、私達がキャンプから帰って来た次の日に、知り合いの葬儀の手伝いがあるからと、顔を見せるのは18日の日曜日にしてほしい・・・と言ったのです。
そして手土産を持って出掛けようとしていた日曜日の朝に、突然還らぬ人になってしまったのです。



あれから24年・・・


今日は、家族で墓参り。


生協の車が10時にやって来るので、その前の9時には家を出発。
子供たちには、2、3日前から根回し、お爺ちゃんは行こうか行くまいか・・・その時間が来るまで迷う・・・迷う。


結局、車で行けるところまで行って、墓前に進めなければ長男が背負うことにしよう・・・と決めて、行くことに・・・なんとお爺ちゃんは、入院以来9ヶ月ぶりの墓参りになるのかな。
車を降りてからの急な坂を半ば意地だったのかも・・・押し車を最後まで自分で押して歩き、お参りすることができました。
帰りも何とか自力で歩き車に乗ることができヤレヤレでした。


墓前だけれど、それまでのお爺ちゃんの邪気を払うことが出来たような安堵感がありました。
お正月に揃わなかった家族が、またお爺ちゃんを中心にお墓参りができました。


さて、これからお迎え団子を作って仏様に供えます・・・
仏前には白玉きなこ、私たちは白玉にあんみつ、小豆にアイスと、贅沢に味わって食べることにします。

ラジオはHNKFM、歌謡スクランブル、90年代ヒット曲集とか・・・「おどるポンポコリン」〜懐かしい。
夫は食後の休憩(お昼寝)・・・私はお遊び。