陽水さん、40年を語る

hitto2009-08-28

余裕があって金曜日が迎えられるなら良いのだけれど、この数週間金曜日は決まってアタフタとしてしまう。
これは、夜の作業が捗らないからか。
そんなこと言っても始まらないけれど、同じ分量の単純作業、時間配分をずらすしかないので、日中の頑張りにかかってしまう。


それでも息抜きは必要、お喋りができない分、ここで発散させることで精神的には安定する。

陽水さんの番組を見て、40年もずっと走り続けた人とは思えない穏やかな表情と笑いが絶えずあって楽しめました。

40周年のコンサートは、ファンへの感謝の気持ちと言っていましたが、そう言えばS&Gもファンに応えるように、大がかりなコンサートをしてくれました。
本当にファン思いのコンサートだったと思いました。


きっと陽水さんのコンサートも自分の人生を重ねながら楽しむことが出来たのだろうな・・・と、そのライブを体験した人が羨ましくなりました。


第一夜から、本人直筆のキーワードが何ということもない用紙に書かれているのだけれど、達筆過ぎて難解でした、面白い文字は、そのまま陽水さんの人柄なのか、セーブしているのか、気負いがない歌作りと自由な発想で書いているように見えます。


それでも曲を頼まれると真剣に悩む、そしてそれが代表曲と言われるまでに大ヒットしているのは、やはり普通の感覚ではない、天才ヒットメーカーなのだと改めて感じてしまいました。


キーワードにもあった「石炭」、炭鉱町で育ったという子供時代のこと、陽水さんの歌は、子供のころの歌が結構ある。
影響を受けた「ビートルズ」特にジョン・レノンの声が好きだと言っていました。


声がと言うなら、陽水さんの声こそが独特で、「傘がない」を聴いたあの声は、詩の内容よりも衝撃でした。
両親への思いを書いた「人生が2度あれば」ヨイショしたと言うその曲がとても胸に詰まる。


大きなヒットとなった「氷の世界」、実はプロデューサーに書き直しを要求されたこと、初めて反抗期の子供のように自分の意思を通したこと、その頃の心境をサラリと言われていた。
結果はミリオンセラーという大ヒット、変な気持だったと言っていたような・・・それはきっと状況がいっぺんに変わってしまうのだろうな。


麻雀を通してその後の人生に影響力のあった阿佐田哲也さん、筑紫さんが剛毅な人と言っていました。
それにしてもインタビューに出演していた人たちを見ると、指針となる人が多くいたことで陽水さんの曲調も広がりを見せていたのだと思う。
凄いことです。