花はどこへいった

hitto2009-09-06

今日は亡き父の誕生日でした・・・生きていれば83歳です・・・ブログを書くようになってから、今日は何の日?と思い巡らし「ああ、そうだった・・・」と、気づくことも多く、それだけで私には意味がありそう。
文章や言葉ではうまく伝えられない様々な感情が頭の中で渦巻きながら、面倒になって考えることをやめてしまう・・・後は野となれ山となれ・・・って、責任のない立場に追いやられた末の気ままな自分でいいのか、本当に悩んでも仕方のないことが多くなってきました。
どの道気の利いた助言ができないのだし・・ただ傍観するのも親の勤めかな?と亡き父に尋ねてみます。


昨夜のテレビ、NHK土曜ドラマ「再生の町」初回を見逃してしまいましたが、面白くなってきました。
財政削減を模索する主人公、高岡駿馬(筒井道隆)、筒井道隆さんの雰囲気がとても好きです。
表面からは窺えない内面の意志の強さを持つ役どころ、一番のはまり役だと思います。
これから対立する権力に立ち向かう姿は、今の民主党の若い議員さんと重なりきっと期待に沿った理想の形で終わらせてくれるのだろうと、どちらにも期待してしまう。


ドラマは悪役とヒーローという位置づけがされてスカッと爽やかな展開になるのだろうが、実際に与党となった民主党の議員さんは、私なんかよりも、ずっと考えるのが面倒になるくらい大変な仕事が待っているのですから、是非とも弱音を吐かず頑張ってもらって、無駄を吐き出してもらいたいです。


ドラマが終わり、横になって目を閉じたころ、隣の(夫の)いびきに起こされ続けてテレビ画面に目を移す。
カチャカチャと合わせたチャンネルはBS2「世紀を刻んだ歌 花はどこへいった 〜静かなる祈りの反戦歌」これが面白かったです。


たぶん私がはじめてまともに覚えた英語の歌が「花はどこへいった」(ABCの歌は抜き)途中からの観賞でしたが、自然に引き込まれました。


アメリカのフォーク歌手ピート・シーガーが作詞作曲したと言われるベトナム戦争に対する反戦歌。
ロシアのミハイル・ショーロホフが書いた本「静かなドン」の中にある子守唄の歌詞からインスピレーションを受けたという。
その後、ショーロホフへ宛てたお断りの手紙が楽譜と一緒に紹介されていました。


3番までの歌詞を5番まで広げ、1番に戻る傑作に仕上げたもう一人のアメリカ人男性に、ピート・シーガーは、静かに感謝の意を述べていました。
とても真摯な姿にとても好感が持てました・・・紳士だわ。
ピート・シーガーの歌に感銘を受けたマレーネ・ディートリッヒ、「花はどこへいった」を歌う姿に深い悲しみと怒りだろうか・・・とても心に迫るのは、その人の人生をほんの少し垣間見ることができるからだろうか。


祖国ドイツ語で歌うことの拘りを軽く受け止めることはできないけれど、故郷を長く離れて暮らす寂しさや理解されない疎外感など、なんとなく分かっても辛くなってしまう。
幾重の言葉を重ねるより、この歌を歌うことで反戦の思いを人々に訴える力になると、自分にも訴えかけてきます。


聴く人によっても、また歌い手によっても違う感動が生まれること、1曲の歌の力は時代を超えて計り知れない影響力があるものです。
オリンピックのフィギュアスケート選手カタリーナ・ビットさんの演技も、この歌の理解を深めると、まるで違った演技に見えてきます。
どちらも反戦の思いを込めながら優しいメロディーに合わせている、これからも広く長く歌われると良いなと思いました・・・って、反戦歌の歌われない世の中こそが望ましいのだけれど・・・いつの世にも家族、愛する者のために戦う兵士がいるという悲しい現実。

お父さんだって、お母さんだって、外では戦う兵士、生きるための戦いは永遠に無くならないかもしれない。


ただ愚かな戦いは悲しい結末があるということを知ることのできる、祈りのような歌なのだと、改めて思いました。

読売新聞 Y&Y(日曜版)
クロスワードの答え・・・・・ムギワラボウシ(麦藁帽子)
数独の答え・・・・・3+4=7・・・7