「桜桃の味」 1997年のイラン映画

hitto2010-03-03

桜桃の味」 1997年のイラン映画を観ました。


明かりをつけましょ、ぼんぼりに♪お花をあげましょ 桃の花♪・・・ひな祭りという日に、「桜桃の味」このタイトルだけ読むと春の香りがしそうです・・が・・まったく意に反していて、扱う題材は自殺というのだからかなり重く、そしてなかなか感情移入できません。
この映画は随分前に録画したもので、前半で挫けてしまったというか、途中まで観ていて忘れていたと言うか、再度挑戦して観た映画でした。

桜桃の味」 1997年・イラン TA’M E GUILASS
今村昌平監督の「うなぎ」とともに1997年カンヌ映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールに輝いたA・キアロスタミ監督作。自殺を決意した男が一人の老人と出会い、生きることに対して一筋の光を見出すまでを描く。多額の報酬と引き換えに自分が死ぬのを手伝ってくれる人を探して車を走らせるバディ。何人かに断られた末、やっと彼の申し出を受けてくれる老人が現れ、目的地への道すがら、老人は昔の経験を静かに語り始める。
<作品情報>
(原題:TA’M E GUILASS)
〔製作・監督・脚本〕アッバス・キアロスタミ
〔撮影〕ホマユン・パイヴァール
〔出演〕ホマユン・エルシャディ、アブドルホセイン・バゲリ、アフシン・バクタリ ほか


画面は車中ばかり、しかも砂山を走るばかりで単調なシーンが多く、ドキュメンタリーのようです。
取っつきにくいのは、果たして自殺願望の人間が、自殺の後始末を他人に頼むものだろうか・・という漠然と否定している目を持ってしまったこと。
自殺願望でいる自分は大金を持っていて、無作為に若者に声をかけ、お金が必要だろう?と言って自殺の片棒を担がせる・・って・・・一体何を考えているのだろう。


一人、二人、三人、と話を持ち掛けるのだけれど、誰にも引き受けては貰えず車はひたすら走る。
兎に角結末がどんなだろうか観てみようと。
こんなに何人もの人間に自殺場所と方法を教えて、翌日その人たちがこの場所に集まるの?・・とか、死ぬのか生きるのか?どっちだろう・・と、観ていました。


最後に出会った老人がやっと引き受けてくれることになりました、老人は自分が自殺しようとした過去の話しを聞かせるのです。
それがとても良い話でした。
自殺しようと桑の木にロープを掛けようとしたけれど何度も失敗して、仕方なく木に登ってロープを掛けることに。
その時に桑の実が身体に触れ、ひとつ食べてみたという。
それが甘く美味しくて、ついもう一つと・・いつの間にか美しい陽がのぼり美しい朝を迎えていた。
今度は木を揺さぶり下にいる子供たちに実を落としてあげた。
子どもたちは大喜びしてくれて嬉しかった。
桑の実に命を助けられたと。


体験者の話は説得力があります。
見方を変えれば考え方が変わる。世界がきっと変わって見える。
幸せな目で世界を見ると、幸せが見えてくるということ。
桑の実は桜桃の味がする幸せの象徴だった。


このことを言いたかったのかと分かるが、男は尚も自殺をしようとしている。
穴に入り横たわる男・・長い時間幕が降ろされたように画面は真っ暗・・・・・・ざわめく音は何を意味しているのだろう?男は?


突然、撮影「カット!」の呼び声とともに現実が映し出される。
まさしく観方を変えられてしまった・・という結末でした。
撮影を終了した兵士役の人たちが手に花を持って笑い合うのでした。


イランという国の、何ひとつも理解していない私が、テーマもそうだが、淡々と流れる景色を重苦しく思っていたのは、この映画を観て感じていた貧しさとか、戦争という悲惨なことばかりを連想させる国の様子をどこかに始めからマイナスイメージとして有った・・きっと先入観が働いていたためだろう。
どのように解釈するのか、今以て分からないが、苦しい時に思い出してみることができれば解決の糸口がみつかるかもしれない。
この老人のような人が日本中にいる自殺志願者の横にいてほしい。