富士山から無事帰還

hitto2010-04-19

無事に帰還できたことにまずは安堵、家に着くなり緊張が解かれ疲労感がドッと押し寄せてきました。
月曜日、重い腰で家事を済ませるとすぐにお昼の時間、早!
何はともあれここに座ることが出来てよかった。


先週金曜の深夜、小雨の降る中を車のワイパーを作動させながらの出発、始めて通る第2京阪にさしかかったところでワイパーは高速作動、雨が激しく前面ガラスは下から水を持ち上げ、車は滝の中に閉じ込められているか或いは洗車機の中状態、いつもは睡魔に敵わず寝床に潜り込む時間、この雨で目は冴えわたり緊張感が一層増してきました。
助手席の私は前のめりで前方を見据え道路標識に目を凝らすのだけれど(ナビは古くて第2京阪は原野)、車のスピードもそこそこ出ているので文字が見えづらいしハラハラ、それに標識は各方面への分岐点になっていて焦ったあ。
兎に角高速道路に入ったら道は一本で繋がれているのだから。

深夜のドライブと洒落こんでいる余裕もなく、今回の旅は道路事情に翻弄されてしまいました。
第2京阪、京滋バイパス、東名へと繋ぎ、道路は空いていてスカスカ、その代わり車は猛スピード、高速なので当たり前だけれど、合流地点や追い越しではヒヤリ、雨の中では一瞬の気も緩めることはできず緊張の連続でした。
途中トイレタイムをとってサービスエリアに入り仮眠も3時間程度、雨は止まずそのまま朝が白ける。
まさかこの雨が向こうの富士では雪に変わっていようとは露ほども思わず・・・と言うのも、由比ヶ浜のサービスエリアで朝食をと思って停車したところ、富士山の絶景が観られ思わず感動。
2階建ての展望台に上がり胸を撫で下ろしたのでした。
土曜の朝は晴天、この調子なら絶好の行楽日和だわ・・と、胸をわくわくさせていたのです。


富士山の麓にあるホテルで待ち合わせ、便利な時代の文明の利器、携帯電話でやり取りしながら朝の10時に前後して顔合わせすることができました。
「私が一番乗り」と妹の気にもとめない主張が既に始まっている。
一番距離の遠い私たちが遅れたのは数分。
東京発の姉たちも天候不順に見舞われ、これでは一日ホテルに缶詰めかと案じていたという・・なのに・・静岡に入った途端、神懸かりかと思うほど空が澄みわたり富士山を拝むことができたと興奮気味に話していました。


ホテルから富士山までホンの数キロ、ホテルの周りは雪が降った形跡はなかったのですが、富士は間違いなく雪の中、車で5合目まで行くのには不安でした。
有料道路を通ることもあって、荷物を下ろし、我が家のノアで6人乗りすることに、いざ出発。


あれあれあれ、少し進むと道路脇に雪が・・・昨夜一晩降り続けていたのか進むほどに雪の量が増えています。
車道は日光により解かされスリップするほどでもなかったのですが。
気温は10度以上あって日蔭も濡れているだけアイスバンにはなっていないと強気で徐行運転、流石に道産子、雪道にはうるさい。

しかし、私たち夫婦は六甲でスリップした経験があるのでツルツルタイヤでは不安、富士サファリパークの辺りで全員一致で断念、富士吉田の方へ行くことに。
富士山は雲の中。


宿坊の続く街並みは、桜が満開。
近くに車を置いて歩くことにしました。
久しぶりに味わう雪解け道は、故郷の春を思い出しましたが、足元はグチャグチャでした。

大きな鳥居を抜け富士山に真っすぐ向かって歩き、宿坊の跡地である看板が目に付きます。
今も当時のまま残されているという御師(おし)宿坊、「旧外川家住宅」を見学、富士山のことを少し学習しました。
   
   


霊山の名にふさわしく山の形の美しさと大きさに圧倒されます。
神が住む富士山の噴火を鎮めるために麓に浅間大神を祀りはじめ信仰されていたそうで、平安以降形態は仏教の影響を受け変わり、修行のための登山者が増えたそうです、1500年ころは大盛況だったといいます。


その後軽く昼食を済ませ、車に乗り富士山の雪解け水が湧き出ているという「忍野八海」へ。ここは外国からの旅行者が多く、中国語、韓国語、ベトナム?英語は少なく、日本語も少なかったかも。
観光地はアジアの旅行者で賑わっていました。

この土産物屋さんの建物も日本というより中国風の匂いがしました。
トウモロコシが壁一面に干されていたり、天井に掛かる飾りものはまさに中国。
お店の売り子さんまで流暢な日本語だったりで、こちらが中国を旅する観光客という気分でした。
さっそく土産物を2・3買い、そこで売られていた草もちが美味しかったこと。お婆ちゃんの作ったヨモギ餅の味がしました。





体力も限界に近付き一行はホテルへ。
大きな湯船に浸かり汗を流しました。やはり連れのいないところでは女3人会話が弾む、近況を語り合いながら湯に浸かりのぼせてしまいそうでした。
アラ還に近い年頃の話題はもっぱら老いに抵抗しようとする意気込みに溢れていました。
それも下腹部のたるみを気にしながらなので笑ってしまう。
健康こそ一番大事なことだと意見は一致、姉妹の健康法を聞き、子供の話題は避けていたかな・・まあいいか。子どもの事情は刻一刻と変わるものだし元気なら良いか。
御馳走を戴きアルコールが入ると気分が朦朧としてしまい早めに解散、走行距離は500キロを超えていたので、寝ずによく頑張ったという感じです。
爆睡!


一夜明け、早朝の富士山は絶景、ホテルを出る頃にまた雲隠れ・・けれど天気は頗る良く直射日光が眩しいくらい。
記念撮影をして少しお喋りをして別れました。
何だか呆気なかったけれど、ラッシュを避けるためには良かったかな。
帰りは快適なドライブとなりました。




車は1000キロを突破、記録に残る旅になりました。
無事に帰って来られて良かったです。