「告白」

hitto2010-06-22

15年続いている幼稚園の父母会参加の締切は20日までで、まだ返信がない数名と連絡を取り合っていた。
いつにも増して携帯電話の有難さを実感、メールは便利だけれど、時間がかかってしょうがない。
顔が見えないので、改まった書き方になってしまう。
相手との間柄を思うと、自分のキャラではない気取った感じの言い回しだから文面に吹いてしまう。
実際に顔を合わせるなら
「何で、締切に(ハガキを)出さないのよ。(ゴメン、ゴメンと相槌が入る)何かあったの?うちに(ハガキを)持って来てくれたらよかったのに。来られないなら、今度お茶でもしてお喋りしましょうね・・会うの、楽しみにしていたんだから」・・てな感じで話ができるのに。
実際会って話せば、1時間じゃ足りないことになるので、メールはやはり有難い。


日曜日、「父の日」にと言って長男が持ってきた本「告白」を、最初に読み出したのは長女。
その日の夜、寝る前の読書といって読み出したのが夫。
「お母さんも読んで」と長女が言うものだから、昨日は携帯電話を傍らに掃除もしないで読み切ってしまった。

内容が内容なだけに、落ち込むことずっしりと重たい石を飲み込んだようになってしまった(全く表現力に乏しい)、小説だと割り切るが、私の頭の中でクルクルと2人の少年に思いがいってしまう。


夫は暗い話が好きではないので、嫌なものに関わってしまったという顔で
「映画は絶対に観たくない」と言う。
けれど、一気に読ませたところの本の力は相当なものだと思いました。


なに様のつもり・・というような最後の森口悠子先生の渡辺修哉の携帯電話へ宛てたメール。
まるで炎上した掲示板に長々と書かれた尤もらしい長文のようで、狂っているとしか思えなくなってしまった。
私は森口先生を好きにはなれないので、非難する意見しか持たない。
自分の子供を殺された親の気持ちは、同じ立場にならなければ絶対にわからないことだと思うけれど、わからない方がよい。


親となったときに、子供が万が一殺されたなら「絶対に相手(犯人を)を殺す」と言う親の心情は一般的だろうとは思う。
実際に何度も聞かれる話しで、そんな気持ちで親は子育てをしていると思うからです。
でも目には目をでは何も解決しないし、復讐で心は癒えないことも分かっているのです。
愛されていないと思う孤独な人間ほど、悲しいものはないし、孤独であるが故に、残酷な復讐を考えたりもするものなのか。


母親の愛を求める少年の悲劇がこんな風に始まってしまったということが悲しく、読後いつまでもモヤモヤとした怒りが取り除けない。
法で裁くことよりも、教師として生徒を守る義務があるなどという真っ赤なウソを最初についたことから私は嫌悪を感じてしまった。
しかも愛美の父であるやんちゃ先生が復讐の罪を犯さないように仕掛けを封じてくれたことに対して、親であるより教師の立場にあったことに失望しているなど、全く職業の選択から間違ってしまったと思うしかない。


それにHIV感染者の血液を牛乳に混入したなどと、エイズに対する問題提起にはなったと思うけれど、どうにもいただけない。
エイズに対してそれ以上の誤解を招くのではないかとも心配になるし、本当に苦しんでいる方には気の毒で仕方がない。


残酷な思いつきに第1章から胸が押しつぶされたようになってしまったのに、最後はとどめというような怨念の渦巻いた復讐劇に、つくづく小説のなかでよかったと思ったのでした。
最後の1ページ、これは余分などんでん返し、却って幼稚にこの本をつまらなくしてしまったと思う。
もう時間がない。
最後に、今後「ルナシー事件」のようなことを未来ある中学生以下の子供が(大人もだけれど)、間違っても思いが及ばないように心から願うのでした。