迎春

hitto2011-01-02

新年あけまして、おめでとうございます。
昨年中は、温かいコメント、来訪、スター、と・・ネットの片隅に住んでいる私にとって、とてもとても嬉しく、とてもとても励みとなりました、心からお礼申し上げます。
そして皆様にとって幸多い一年でありますようにお祈りいたします。
本年もどうかこの変哲のない主婦のブログの更新を温かく見守って頂けますように、よろしくお願いいたします。


長いこと、ブログをやっていて、一年の締めも、年の初めの挨拶も記録もせずに過ごすことになるなんて。
何となく、心に引っかかるものがあったのは、この挨拶が出来ていなかったからだと・・年の始めの行いは、大事なことなのだと今さらながらに思う私なのでした。


昨年末から新年を迎えた昨日まで(正確には2日が明けた丑三つ時の午前3時ころまで)気持がフワフワしていて、それでいて新年の儀式とすることが多く、いい加減でドジで抜けていて、心ここにあらずの非日常を過ごしておりました。
昨年後半には、すっかり子供のいない生活に慣れてしまっていたせいか、出たり入ったりの子供達に肝心なことを伝達するにも、聴き流されるラジオの如く脳裏の一片にも留らず残らないのではないだろうかと、言っている自分も重複する言葉を浴びせても気付かない始末、ただ目の前を通り過ぎるばかりで、時間は刻々と過ぎていくばかりでした。


今、こうして家の中に、お爺ちゃんと私、二人だけが残っているというのが不思議なくらいで、とても静かに時が流れています。
誰もいない間、少し掃除をしておこうという気持にもなるのですが、まだ正月2日、今日ぐらいはダラダラしていても良いかな?と、乱れた部屋を見ないふり。
明日の昼、夕方、深夜?何時になるのか、夫と次男が東京からトンボ帰りするから。


家族全員で顔を合わせたのは元日正午、号令に従いお爺ちゃんに挨拶と仏前に手を合わせました。
その後テーブルをぎゅうぎゅうになりながら囲み、ワイワイとおせちと雑煮などを食しました。
家族6人が集まった貴重な時間、夕方にはまた長男、次男が出掛ける用事があるというので、(長男の)東京へ出発する荷を車に運び入れるのも、お墓参りの後のギリギリの時間となりました。


その前のホンの空いた時間に、長男がお爺ちゃんに色紙を渡し「何か、書いてよ」とねだり、書き初めをすることに。
去年のお正月、探しても見つからなかったお習字道具、夏に整理した時に子供3人分のお習字バッグが並んで押入れの奥から出てきたので、目につくように置き場所を変えていたのです。
サッと3人分のお習字道具を持ってきたのが次男。早速、長女と一緒に墨をすり始めました。


横で夫と私は何年も前に書かれた書き初めの束に目をやり、名前の無い半紙に書かれた文字を見ながら、これは誰が書いたものか、という名前当てをし、特徴のバラバラな三人の文体に目を細めていました。


お爺ちゃん「わしは、手が震えるから、よう書けん・・・」そして、淡々とお爺ちゃんは、東京行の長男に向かって有難い言葉を伝えているのですが、長男は頷くように聞き入り、それでも「何でも、お爺ちゃんの好きなことばを書いてよ」と迫り、僕も書くからと暫く考えてから半紙に下書きを一枚、そして神妙に色紙に筆を入れました。


お爺ちゃんに宛てて書いた文字は「白寿」。
お爺ちゃんは、遂には書かれた文字に感心して、自分もと下書きには「質実剛健」と弱々しく細書きで書いてから、しびれの残る手に筆を握り、力強く書いてくれたのです。
若い頃から好きな言葉だったようです。


この瞬間の出来事をきっといつも思い出すのかなぁ、と思うと私は胸がつまりました。
交換された色紙を大事そうに抱えて、お爺ちゃんは自分の部屋の壁に吊るして眺めています。
また長男も、きっと何度もその色紙を眺めるのだろう・・か。
なんと良い言葉をプレゼントしてくれたと、お爺ちゃんに感謝。
そして長男にも。お爺ちゃんは白寿まできっと頑張れる。
質実剛健 意味
中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましいさま。「質」は質朴、「実」は誠実の意で、「質実」は飾り気がなく、まじめなこと。「剛健」は心やからだが強く、たくましいこと・
・・こんな風になってくれたら嬉しいですね。