いとしのセシリア

hitto2011-05-12

今日はお爺ちゃんの定期検診日、空模様がはっきりしていなかったからだろうか、今日は来院者が少ないし、大した混雑も無く検診がスムーズ。
このところ体調が良いのでお爺ちゃんからの発言がなかったこと、それも時間が掛からなかった。
先生からはこの調子を崩さないように・・と「再来週、心臓のエコー検査をしましょうか」(多分、一年ぶりのエコー検査)と予約してきたくらい。
エコーは一般外来のない午後から。2週間おきに3度、病院へ行くことになる。

昨日の昼間だったかな、FMからサイモン&ガーファンクルの「いとしのセシリア」が流れ、一瞬「本物だ!」とにっこり。
最近テレビのコマーシャル(ローリーズファーム)でお馴染みになった「セシリア」が好きだけれど、「これ、S&Gじゃないよ・・」と、誰かが側にいると、いつも言ってしまう。
そうだ、DVDの「ザ・ハーモニー・ゲーム」でこの曲について二人は何を話していただろう・・と気になり始め、またまたDVDをのっけから鑑賞。
これ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋40周年記念」で、CD2枚組「明日に架ける橋」と「Live1969」。
それとプラスDVDがS&Gの二人とエンジニアのロイ・ハリーなどによる、アルバム「明日に架ける橋」の制作過程の裏話が聞けちゃう「ザ・ハーモニー・ゲーム」。
そして一度も再放送されなかったTVスペシャル番組「SONG OF AMERICA」が丸ごとDVDに入っていて、これさえあれば私は幸せになれるというくらい、私のお宝になりました。


対訳も新たにされていて、微妙に違っているのが面白い・・というか、新鮮。
例えば「明日に架ける橋」の出だし、(生きることに疲れ果て みじめな気持で ついに涙ぐんでしまう時 その涙を僕が乾かしてあげよう・・)が今回(君が疲れ果て 自信を失くし 瞳に涙が浮かぶとき 僕が乾かしてあげよう・・・)「みじめな気持」と「自信を失くし」と似ているけれど、日本語にすると微妙に受け取り方が違ってくるもの。


そして「ザ・ハーモニー・ゲーム」時代時代に本人たちが証言されたものと、今の「ハーモニー・ゲーム」とでは内容がすこし違うものがあったり、これも本当に面白い。
どちらが本当か、って、どちらも本人が話しているので本当だと思う。
時の流れによっていやな感情は削げ落とされ、丸く丸くなったってことだと思うけれど、今の穏やかな語り口調からすると、二人はとっても良い関係で、過去のS&Gは二人にとってとても愛おしいものなのだと思うのです。
俄かファンの私でもとっても愛おしい。
二人の関係を想像するのは勝手なことで、どうでも良い解釈に違いないし、きっと間違った解釈もあるのだけれど、そんなことにハマってしまった私って、やはり変人かしら?


まあ、それはそれ置いといてっと「いとしのセシリア」
アルバム「明日に架ける橋」の中に入っているこの曲、楽しい雰囲気のある曲で、どうしてこんなにハーモニーが綺麗で、どんな風にリズムを叩いているのとか、それまでの疑問がスッキリと細かく語られていて面白い。
アーティ(ガーファンクル)が声を張り上げているのも嬉しいし、仲間内で出来たリズムを録音して使っちゃったという過程が楽しく、この曲に関しては、二人はまだしっかりとタッグを組んで喜んで制作していたに違いない・・なんて思うのでした。
歌詞を深読みすると「セシリアどうか戻って来て僕のところに・・」というと、私の勘違いでセシリア=アーティかな?とか思うこともあるし。
どこかの掲示板か本か?ポールの飼っていた犬の名前がセシリアだと聞いたこともあるのだけれど、何処で仕入れたネタか調べる間(術)もないので定かではない。
とにかくとても楽しいリズムで良い曲なのです。
本物使ってほしかったなぁ・・本音。


以下、DVDから・・
ポール:僕たちは、ブルー・ジェイ・ウェイに住んでいた。ジョージ・ハリスンがこの通りを歌にした。マンソン事件のあった夏にね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
街は極度の緊張状態だった。あの辺りは特にね。ある晩、僕たちはくつろいでいた。僕の弟(エディ)とアーティと僕と。あと2〜3人友達がいて全部で6〜7人いたんだ。

アーティ:鮮明に覚えているよ。今でもその感覚がよみがえる。
ものすごい高揚感がみんなに伝染したからね。
ソニーのテープレコーダーが気に入っていた。
大きなシルバーのやつだ。リバーブボタンを押すとサウンドの反響音が大きくはっきり聴こえる。
ディレイは4分の1秒は十分あった。
ポールとリーヴァイスLevi'sの上から膝を叩いてリズムを取った。次第にアクセントのあるパターンが生まれた。パターンが生まれるとポールの弟エドがピアノの椅子でしっかり4分の4拍子を刻んだ。だんだんみんなが乗ってきた。東部の友人ステューイは調子の外れた中古のギターを弾いていた。すると彼は風変わりなアクセントを提供したんだ。一晩中、少なくとも2〜3時間はそうしていたよ。

ポール:時がたつのを忘れてた。
聴き返してみると1分15秒ぐらい、すごくノリのいいところがあった。
僕はロイに言った「この1分15秒は素晴らしい」「この部分をループさせよう」アナログ時代の話だからループさせたかったら、テープで回すしかない。そして、この1分15秒が繰り返される。それがリズムのベースになった。
・・・・・・・・・・すごく楽しそうでしょ。

ロイ:スタジオに持ってきた時、僕は驚いた。
バーブをかければ何でもできるってね。いろいろなリバーブ(残響、エコーかな)やディレイ(くり返し)をかけてみた。
そこから実際の録音が始まった。


ポール:そこからシンプルなギターを入れた。
いつどこで歌詞とメロディーを入れたか覚えていない。聖セシリアは、音楽の守護聖人なんだ。とにかく歌詞ができて歌ってみてこう思ったよ。これはキャッチーでリズムがいい。
ベトナム帰りの兵士に会った時、彼はこう言った。「あのレコードを聴いてアメリカは変わったと思った。今はあんな一行を歌っていいのかい?」「まるで違う国みたいだ」って。
僕はそうは思わないよ。ただのジョークだからね。古臭い冗談さ。


アーティ:コロンビアのスタジオに行った。ガウワーストリートにある大きな弦楽器用スタジオだ。1969年にはまだハリウッドにあった。弦楽器の代わりに僕とポールはたくさんのドラムスティックを持って行き寄木張りの床に落したんだ。とても乾いた硬い音がした。その音をレコードの中音域に入れた。そしてポールに木琴を取って来てもらった。彼は木琴は弾かないが僕らはこう言った。ロイがサウンドを圧縮すれば音程はわからなくなる。だからどんな音でも構わない。

ロイ:とっても楽しい作業だったよ。「楽しもうぜ」って感じだった。それでマイクは一つだった。マイク一本に固執していたんだ。本当だよ。とりつかれたみたいに。「どうしてなんだ」「このやり方以外ダメだ」楽しかったな。

書き写し、少々疲れました。