午後から雨になるとか、そんな気配は少しも感じられない。
最近は虫食い状態のブログだけれど何とかやめずにこられたのは、今もどこかで現実からの逃避癖があるからだろうと思う。
震災前までは殆ど能天気にどうでもいい話を書き連ねていたと思う。
もう自分でさえも過去に遡ってこのブログを読もうという忍耐力はないです。
その時その日に気の向くまま書き散らしていただけで、震災後はあまりに自分が薄っぺらな人間だと思い止めたい気持ちになりました。
気持を吐き出すだけのことだから、書くことに尽きたということではなかった。
匿名のなせる技で、誤字や脱字、文章の拙さにしても時間の経過とともに慣らされ、羞恥心が欠けていったのかなと思います。
自分の場合は、心に余裕がない時ほど気分転換にパソコンに向かっていました。
大たいはストレス発散、心の安定剤、家事からの解放感、等々と言い訳みたいになっているけれど、少なくとも全てが内向きに働くことがなくって大変良かったなと思います。
何でこんな話をしているかというと、今朝の新聞に小説家の長野まゆみさんのコラムがあって
「日常から離れたいという願望があり、嫌なことから逃げつつ書いているところがあります。一日に一回は小説の世界に行かないと、気分が悪くリセットされない。だから書くことはやめられないんです」と、ああ、気持分かるなあ。
別に書くことでなくとも、音楽を聴いたり歌ったりでも、小説を読んだり映画を観たり、美術鑑賞でも、運動するのだって、日常と離れたところにある楽しみは、忙しさに関係なく浸ってしまえる中毒症状のように現れる。
小説家である彼女は、想像力も豊かで言葉の宝石箱のような物語を紡ぎ「話を思い付くのは簡単。でも、まとまった形にするのが難しい」と嘆いていましたが。
どちらにせよ嫌なこと、ストレスを溜めたり負の感情を持つことは、身体に良い影響はないだろうと思います。
だから、この頃は近隣諸国のニュースを漁るのは程々にと思うようになりました・・って、決まった場所には今も中毒患者のように出かけるのですが・・矛盾している?
知らないという幸福から、多少なりとも知るという幸福へ転換中。