体罰という犯行

hitto2013-01-25

朝から竿ごと風に持っていかれそうな強風で、昨日買い物に行っていて良かったと思うのでした。
ゴミ出しをするのと、むきだしの自転車が風に倒されては起こして紐でくくる、この2回ほど外の風にあたり、すぐさま逃げるように暖まった部屋に引きこもる主婦ですが、この強風の中でお仕事をしている方には大変申し訳ないと言うか、御苦労さまですと頭が下がります・・その申し訳なさに軽く掃除をして、そして手持無沙汰にパソコンで遊んでいる・・ぬるま湯に浸かった大馬鹿者です、それとも子育てが終わったからとご隠居気分?どちらにしても私は世のため人のために何か役にたっているのだろうか?と、自問・・夫、子供、お爺ちゃん、とやはり私がいなければ困るのだろうかと、薄くなった責任にしがみ付くことにします・・取り敢えず。


子供たちが成人し、学校というところが遠い存在になってきたけれど、学校関連の問題が絶えなく、我が子の時はどうだっただろうかと時々振り返ってしまう。
いじめや暴行、体罰と、今度は教員の早期退職?・・なんでそんなことが起きるのだろうかと思う、駆け込み退職すると定年満期よりも多く退職金が貰える?・・って、制度の見直しが出来ないのだろうか・・蚊帳の外にいる私でも悶々とするような話でした。



ニュースでは自殺した生徒の父親が体罰顧問を暴行容疑で告訴したと・・既にしているかと思っていました。

昨日の夕刊には桜ノ宮高校の自殺した生徒が、顧問の先生に宛てた手紙が公表されていて、ご遺族の無念さがひしひしと感じられた。

悲劇に晒された家族の胸の内は、どんなにか悲しく複雑なものだろうか。
2度と起こらないようにするには生徒も含めた学校関係者が揃って体罰反対と声を合わせるしかないと思うが、体罰といっても言葉による暴力や平手打まで、教育指導かどうかの境目の判断が曖昧になりそう。
行う側と受け取る側とでは大きな隔たりがあるだろうし、教育者であっても高ぶる感情を理性で抑えられるような人格者とは限らない、個人の性格や育ちによるものが大きいとも思う。


甚だふてぶてしい態度の生徒がいたとしたら、他人の子供でもガツンと言える教師を望むように、どの場面でも体罰と決めてしまうのは危険な気がするが、少なくとも手を上げた時点で辞める覚悟はしておくべきだと思う。
だからと言ってやはり体罰はやってはいけない。

今日の新聞には桑田投手の手記が載っていて、指導者を指導する指導者に桑田さんのような人がいないかと思いました。
難しくなっているのは、案外指導者よりも今時の生徒の方かもしれない。

良き指導者に出会えるのは運の善し悪しかと思うけれど、子供たちに辞めるに辞められない状況などないのだと、気付かせることも大事なことだと思う。