映画「永遠の0」

hitto2014-01-10

風が冷たい、今日は日本列島の北から南の8割方が最低気温0度未満だそう。
それにしても家から見る外は良い天気。

ベランダの隅に置いてあるサンダルが、昨日の雨で濡れたまま氷が張りついている。
ゴム製のサンダルで雨の日はひっくり返しておくのだけれど。
昨日はお昼頃にあられ混じりの雨が降り、その後日差しが見えていたのに気温が低く、凍りつく寒さでした。


昨日はその寒さの中、お爺ちゃんの今年最初の検診へ行ったのでした。
院内は予想通りの混雑で・・ただ・・常時3人ほどいる看護師さんが総入れ替えになっていました。

一人をおいて、二人は新人さんだろうか。
待合室でお婆ちゃん同志がヒソヒソと、この医院のあることないことの噂話をしていました、私はじっとそばで聞き耳を立てていた。

狭い環境の女性ばかりの職場には、人間関係も色々あるんやろうな。
然しこの医院は事務員さんも含め数カ月で次から次と頻繁に人が入れ替わる・・担当の医師が変わるわけでもないので、効率的に動いてくれさえすれば、こっちはどうでもいいんだけれど。

予約時間を2時間オーバーというのが常、甚だ効率が良いとは思えません。
イメージはどんどん悪くなるなあ。


子供が赤ん坊の時からお世話になっていた、もう少し先の内科医院は、先生が80歳を過ぎても頑張っておられて、そこにいる看護師さんたちは30年以上も働いていて家族のような雰囲気。
この違いはなんだろう?
患者数の違いだろうが、診察も会計も薬も早い。
風邪のときは、この医院に決めています。


映画「永遠の0
永遠の0』は、百田尚樹による日本の小説、およびそれを原作とした漫画・映画作品。
大学生の佐伯健太郎と、出版社に勤める姉の慶子は、亡くなった祖母・松乃の四十九日から暫くした頃、祖父・賢一郎から実の祖父の存在を知らされる。 「お前たちの母・清子を連れて松乃は太平洋戦争後に私と再婚した。お前たちの実の祖父は、松乃の最初の夫で終戦間際に特攻で戦死した海軍航空兵だ」――。byういき



それから6年後、司法浪人が長く続き人生の目標を見失っていた健太郎は、フリーライターとなった慶子から、新聞社で主宰される終戦60周年記念プロジェクトの協力を頼まれる。プロジェクトを進める高山は、神風特攻隊のことをテロリストだと語るが、祖父の話もありその考えに釈然としない慶子は、このプロジェクトに際して特攻隊員だった実の祖父・宮部久蔵のことを調べようとする。姉弟はわずかな情報を元にその足取りを追い始めた。
戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だったという男は、久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と姉弟に蔑みの言葉をぶつけた。健太郎は元戦友から初めて聞く祖父の話に困惑し、調査を続ける気を無くしていたが、母から健太郎と同じ26歳で亡くなった父・久蔵がどんな青年だったのか知りたいと改めて頼まれ、更に手がかりとなる海軍従軍者たちを訪ね歩く。だが、生前の久蔵を知る者達の語ることはそれぞれに全く違っており、調べるほどにその人物像は謎に包まれていた。戸惑いつつも二人は、国のために命を捧げるのが当然だったと言われる戦時下の日本と、そこに生きた人々の真実を知っていく。
凄腕のゼロ戦乗りで、卑怯者と誹られても、「娘に会うまでは死なない」と松乃との約束を守り続けていた久蔵は、なぜ特攻に志願したのか? 終戦60年目の夏に、長きにわたって封印されていたその壮絶な生涯と驚愕の事実が明らかになる。
byういき


夫が衝動的に映画館へ行こうかと言い出し、今上映中の映画から私たちが同時に選択したのが「永遠の0」
原作を読んでいた分けでもなく、ただ何となく「これ」が良いと決めたのでした。
映画の評判も出演者に対する期待感もなく、要するに暇をつぶしに行ったという程度のものでした。


ところが観終わった後に大絶賛!
ひと言「いい映画だったね」

面白かったでは決してなく、何度も胸に詰まるシーンがあって立ち上がれないほど、すぐには真顔に戻ることができませんでした。


感動しいの夫は上映中何度も鼻をすすり、途中で私はティッシュを差し出していました。

多くの人に薦めたいと思うけれど、戦争を体験したお爺ちゃんや亡くなった父には見せたくないと二人で話していました。
こんな風に美しく描かれていて、実際に戦ってきた人はどんな風な感想を持つのだろう。



戦闘シーンも日本の0戦も本当にカッコ良かった、空中戦はCGと思いながらもリアルなスピード感のある表現で迫力満点でした。
実際にそこに起きていることは残酷なまでの現実だったはずなのもの。
時に、スクリーンや残された写真、戦闘機や戦艦は時に美しいと感じるものであります。
それが許されない感動と思うのかもしれない。
そこにあった残酷さや血生臭い痛みや匂いに不感症な人間であるような、そんな感想は書きたくないなあと思う自分がいて、まだ消化不良のままなのです。


戦争や震災や災害に事故や病気に対しても、命に真剣に向き合う姿に人は感動します。
この映画は「生きる」ということをテーマにした反戦映画であると思います。

戦争は二度と起こして欲しくない・・と、見渡せば世界のアチコチで戦争は現実のものとして起きています。
しかしこの映画は、見ようによったら子どもにはカッコ良く見えて、零戦に乗る兵士たちが眩しくて誇り高くて、遂には憧れてしまいそうで心底怖いのです。

史実にあった悲惨な戦争を美化してしまうようなことになってはいないかと思うと本当に怖い。

特攻隊という作戦が愚かだということ、命を懸けて国を守るという崇高な思いを踏みにじる残酷なまでの選択。
どんな方法、どんな気持ちを抱いていようが、戦争は殺戮の恐怖しか私は持たない。



ゲームでは決してないし、子どもたちは戦争の恐ろしさや残酷さや不条理に辿りつくだろうか。

いっそ、この映画の中にいた現代の若者のように「特攻は自爆テロだ」と言い放したほうが良いだろうとも思ったり。



映画という娯楽と割り切れば、話の作り流れといい、順を追った証言が久蔵という人物を浮かび上がらせているし、涙なくしては観ていられないほど。
空中での戦闘シーンといい、横に置いてあった飲み物に手を付けることさえ忘れさせたほど夢中になっていたし、最後の最後まで映像の世界に引き込まれていました。

幕が閉じる久蔵の突撃の時、図らずも自分も「やっつけろ!」と心で叫んでいました。

サザンの曲が流れる中、涙を堪えるのに私は必死でした。

宮部久蔵こそ生き延びてほしい人物だと思いました。



何だろう?
あの戦争の特攻隊を思う時の矛盾した感情、戦時中だし志願することを責める気持ちは毛頭なく、上層部こそが責められるべきなのだろうか。

真実に裏付けされた資料も途方もなく沢山あるようだし、その解釈によっても見方は様々であるからして、特集番組などで見る最後に残した手紙などを読むと、同じ年齢の戦後の若者と比較はできないが、純粋でいて大人びているよう。

70年近く経って、国を守るという使命感に燃えた彼らに尊敬の念を抱かずにはいられません。
この作者のように、どこかで戦争に参戦した父や義父をもった影響があるのかもしれない。