サイモン&ガーファンクル

hitto2014-07-06

いきなり、
NY ANNIVERSARY LIVE! サイモン&ガーファンクル「セントラルパーク・コンサート」(大阪は7月5日〜12日まで公開しています)
観てきました。

1664年にニューアムステルダムから名前を変え、2014年に生誕350周年を迎えたニューヨーク。この町と縁の深いミュージシャンによるライブを上映する企画の第3弾。60年から活動し、70年以降はデュオとしての活動を休止していたポール・サイモンアート・ガーファンクルが11年ぶりに同じステージに立ったセントラル・パークでのコンサートが甦る。
1960年代よりデュオとして、またそれぞれソロのミュージシャンとして息の長い活動を続けるサイモン&ガーファンクルは、70年のアルバム『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』を最後に活動を休止し、それぞれのソロ活動に専念していた。1981年9月19日、セントラルパークはただならぬ熱気に包まれていた。セントラルパークはマンハッタンの中心部に広がり、ニューヨークの観光地として最も有名な場所の1つであり、ニューヨーカーの憩いの象徴と言える公園。毎年夏になると、ニューヨーク・フィルハーモニックが野外公演を行い、過去にはキング・クリムゾンダイアナ・ロスなどのコンサートも開催されるなど、音楽の発信地としてもニューヨーカーに親しまれている。そのセントラルパークで、サイモン&ガーファンクルが11年ぶりにデュオとして同じステージに立ったのである。『ミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)』、『スカボロー・フェア(Scarborough Fair)』、『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』、『ボクサー(The Boxer)』、『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound Of Silence)』等、数々の名曲が美しいハーモニーとともにセントラルパークに響きわたり、集まった53万人以上の聴衆の涙を誘った。その後のワールドツアーへの幕開けとなり、本格的なサイモン&ガーファンクル再結成への呼び水ともなった記念すべきコンサートの全容が、サイモン&ガーファンクルデビュー50周年を記念してスクリーンでよみがえる・・・作品情報より



Mrs. Robinson
Homeward Bound
America
Me And Julio Down By The Schoolyard (僕とフリオと校庭で)
Scarborough Fair
April Come She Will (4月になれば彼女は
Wake Up Little Susie
Still Crazy After All These Years (時の流れに)
American Tune (アメリカの歌)
Late in the Evening (追憶の夜)
Slip Slidin' Away
A Heart In New York
The Late Great Johnny Ace
Kodachrome〜Maybelline (僕のコダクローム
Bridge Over Troubled Water (明日に架ける橋)
50 Ways to Leave Your Lover (恋人と別れる50の方法)
The Boxer
Old Friends / Bookends Theme (旧友)
The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy) (59番街橋の歌)
The Sounds of Silence



昨夜の8時から、約1時間半、思ってもみなかった夢が、というか一度でいいから大きなスクリーンで、大音響に包まれ、サイモン&ガーファンクルのセントラルパーク・コンサートが観てみたかった。
そんなのあるわけないと、ずっと昔に叶わぬものと諦めていたのですが、昨夜はまさかの夢が現実になったというわけです。
何度も何度も観ていたセントラル・パークのライブ映像を改めて目を凝らし大画面、大音響で観て参りました。

まさしく至福の時、本当に幸せな時間を過ごしました。



話せば長い話で、思いを綴ればきっとキリもなく、何から何をどう書き綴ろうか言葉にできない思いが溢れるばかりで、日常の雑事に追われながらも頭の中では歌と一緒にぐるぐると回っています。
キーボードに向かってもうまく書けない。


良かった、良かった!「サイモン&ガーファンクル、最高!」というのだけは、書いておこう。



解散してから数十年、勿論The Sounds of Silenceも明日に架ける橋も当時から大好きでした。
大阪に生活の拠点を移し、S&Gの大阪球場の野外ライブ(1982年)にも出掛けました。

それでも彼らの曲と彼らの歌声に魅了され、どっぷりと嵌ったのは、私の実の両親が亡くなった(2000年)より後で、子育ても一段落した頃。
あの頃の自分の体調は甲状腺機能亢進症に罹っているとも知らず最悪でした。


2003年アメリカではS&G再結成ツアーが始まり、来日するかもしれないと、ファンの間では盛り上がっていたと思います。

あのあたりのNHK・BSで再放送されたライブ映像を録画していたのですが、大阪球場で観たライブ映像みたいなものかと、録画再生して観たのは1・2回程度でした。


それよりも、もう少し後になり、自分の体調が悪いので、少し動いては座っているか横になることが多くて、徐にそのビデオを取り出し聴いていたのです。



後になって良かったと思うのは、ビデオの爪を切り永久保存版にしていたこと、それにテープを3倍撮りにしなかったこと、後でゆっくり鑑賞したいという気持ちがずっとありながら、毎日の暮らしに流されていたのです。



そして録画再生すること数知らず、しかもAmerican Tune (アメリカの歌)に至っては日に数度、カウンター数を覚えて逆戻し、朝に昼に夜に、聴いていました。

パソコンを弄ってはライブ音源を捜し、映像を探し、写真を探し、カセットテープにも録音しては聴いて一緒になって歌って、CDを購入し、DVDも購入、ほとんど病気の範疇に入るかもしれない。


デュエットする彼らに夢中になり、ガーファンクルのあの指を唇に持っていくしぐさは、なんだか厭だなあなんて、思いながら、April Come She Willにうっとり、ジーンズの後ろポケットに入っている丸い物はのど飴かな?とか、風邪気味で喉の調子に気を使っていそうなんて、観客に「寒くないかい?」と、優しく言ったりして、Late in the Evening (追憶の夜)で息が上がりSlip Slidin' Awayのときには腕まくりするしぐさが何だかカッコいい。


ガーファンクルが秘かにデュエットしたかった「アメリカの歌」になんであんなに感動したのか。

何でS&G2人のアルバムに入れてくれなかったのか、ポールはガーファンクルを意識しながら視線を決して合わせない、あれは何でだろう?とか。

最後のところ

♪〜But it's all right, it's all right  You can't be forever blessed
Still, tomorrow's going to be another working day
And I'm trying to get some rest
That's all I'm trying to get some rest〜♪
(♪〜でもいいさ、まあいいさ、大丈夫。また明日は仕事が待っているから、今は少し休まなきゃ、さあ眠らなければ〜♪)


この部分に、凄く救われた自分がいたんだと思います。
 


そんな母を見ていた娘が「サイモンとガーファンクル旧友」という本をプレゼントしてくれました。

たった一冊の本を何度も何度も読み返しました。

そうか、そうだったのか、と、リハーサルする過程で、2人の間に険悪なムードが漂っていたんだ、ポールはロックサウンドに傾倒していたし、ガーファンクルはポールのギター1本とふたりの声のハーモニーが大好き、かつての1969年のライブ再演みたいにしたかったんだ。

そしてどうにかこうにか折り合いをつけて開演された、大掛かりなセントラル・パーク、コンサート。


なにはともあれ、脂にのった40代に入ったばかりの彼らが、再結成してビデオに残されたこと。

これは私にとっては本当に凄く有難いことでした。

多分一つしかないライブ映像だから尚のこと影響力が大きかったのかもしれません。

読売新聞 日曜版

クロスワードの答え・・・・・コウノトリ

数独の答え・・・・・6+7=13・・・13

6月の難問編↓