映画「我が大草原の母」2010年(中国)

hitto2015-06-24

私の子どもは、長女、長男、次男、の順番。
回りには理想的だと言われてきたけれど、男女の違い、年の順は関係がなく、よくぞ3人も授かったと思う。


順番が違っていたとしても子どもの性格によるところが大きい、といって性格など生まれてすぐに決定するはずもなく、親の影響や回りの環境や子どもの立ち位置からそうなったものだ。
どの順番でも、その子の性格が形成される環境がベストだったら良かったけれど、この地この家、この親にしてこの子あり、大きくずれた感はないものの、自分の子供だからどうしたって受け入れることができる。が、まだ本当の意味では親離れ子離れができない状態が続く。






昨日は一年以上も前に録画したまま放っていた映画を観ました。
親として教えられることの多い映画でした。



「我が大草原の母」2010年(中国)
(原題:額吉/E Ji)
【監督】ニンツァイ(寧才)

【出演】
ナーレンホア(娜仁花)
トゥメン・バヤル(圖門巴雅爾)
ハブリ(哈布日)
イリグイ(伊日貴)
1960年代の中国。飢饉のために親と離れざるを得なかった子供たちが、養子となるため内モンゴルに送られた。シリンゴル草原でつつましく暮らすチチグマは夫の反対を押し切り、ジェンジェンとユーションの2人を家族に迎えた。母の大きな愛に包まれて子供たちはモンゴル遊牧民として育つが、20年後、生みの親が生きていて自分たちを捜していることを知る。文化大革命の時代を背景に、たくましく懸命に生きる母と家族の物語。母親を演ずる娜仁花(ナーレンホア)の好演が印象的。
2010年10月釜山国際映画祭でワールドプレミア。2011年中国映画華表賞優秀女優賞(ナーレンホア)。監督のニンツァイは内モンゴル自治区出身。俳優として「天上草原」などに出演した後、2005年の「白い馬の季節」で監督デビュー。砂漠化が進み、暮らしのありようが変化することに悩む遊牧民を自ら演じた。映画製作会社の代表でもある。byNHK




母親の規範になるような素晴らしい映画でした。
〜愛はこの世で何よりも温かい太陽〜



全体的に音楽と詩の世界に包まれ、それが映像と良くマッチしていました。
そこに生きる人の感情のゆれがひとつひとつ丁寧に描かれ、厳しい大自然の中で逞しく生きる母親と逞しく成長する子ども達。

とても太刀打ちできない母親の力強さを感じました。


つくづく自分は、甘い世界に生きているなあ。
子どもには厳しいことを言ってしまうけれど、親である自分はどうだったのか?

生きることの厳しさなど避けてきたにすぎない、自問自答するも、今日までよく来たなあと我ながら思う。
この先は更にストレスのない人生を選んでいくだろう。
真剣に生きなくちゃ。
話を戻します。



養子に迎えられた息子の声のナレーションが、この映画の中では大きな比重を占めている。


中国上海の飢饉とは一体どんな酷いものだったかはこの際置いておくが、そこに3千人もの桁外れに大勢の子ども達が親と別れモンゴルに辿りつく。


こういうことの出来る国の制度が本当に素晴らしいことだ、日本の里親制度なども本当に素晴らしい制度なのだと改めて思う。




乳牛一頭なければ養子縁組ができないのだが、当然働き手として養子に迎える家が多いのだろうと、穿った見方をしてしまう私の悲しい性。

純粋に人助けのために養子を迎え我が子と分け隔てなく育てることをしてきた、大地に生きる人々の心は都会に過ごす人間とはスケールも違うし肝も座っている。
そしてこの母親はどこまでも慈悲深く優しく善良だ。




祖母の乳飲み歌は母親のいない子羊  母の愛を見つけさせ  私の氷の心を涙で満たした  それまでずっと考えてきた  心の中は疑念が渦巻いていた  だが祖母の歌が冷たくかたくなな心を  春の雪解けのようにゆっくりと溶かした  自分の歌の持つ力を祖母は知らないであろう  彼女の年老いてかすれた声が  かわいそうな子羊と心のすさんだ異民族の孤児を救ったのだ  その日母が近寄ってきた時  もう自分は孤独じゃないと知った・・・・・「母ちゃん」と泣き崩れる。
ちょっと、書き写してみました。




草原を馬の群れが走る壮大な光景、或る日息子は大人に交じって競走馬に乗り競技に出場するが途中で棄権する羽目になってしまった。

ふがいない私を父は怒らなかった  後でわかったが 父はバータル(実の息子)より私をだすことで伝えたんだ・・「お前が長男だ」と

感動。

上海の孤児は苦難に別れを告げ  優しい母と無口な父に寄り添い  慈悲深い広大な草原で  水と草を求めて移る遊牧民の暮らしを始めた



10年後、20年後、 妹の親が上海からやって来たり、自身の親も見つかったりするのですが、子どもを置き去りにしたのは、子どもを生かすための選択だったのだと、敗戦後の中国残留孤児を重ねてしまいました。

生みの親に対する思い、育ての親に対する思い、どちらも断ち切れない情の中で苦悩する若者たち。

この母親の草原に負けないほどの広い心、子どもを尊重し子どもを生みの親に引き会わせ、自分はひた向きに今を生きる。
その潔さ、本当にアッパレという感想です。



愛はこの世で何よりも温かい太陽・・もう一度書いておこう。